生成AIの普及により、メール作成や情報収集など「個人の業務」は効率化されました。しかし、組織全体の生産性向上や業務プロセスの変革には至っていない企業が少なくありません。
Works Human Intelligenceが実施した最新の調査データから浮き彫りになったのは、AIの技術的な限界ではなく、実務適用における「信頼性の担保」と「プロセス設計」の課題でした。
本稿では、現場が抱える「期待と不安」のギャップを定量的に分析し、AIエージェントを適切に業務フローへ組み込むための「役割分担」と、運用を定着させるための実践的なアプローチについて解説します。
1分サマリ
・生成AIの「個人利用」は進んだが、「組織的な業務変革」には至っていない企業が多い。
・現場は定型業務からの脱却を望んでいるが、「AIの暴走」や「ブラックボックス化」への不安が障壁となっている。
・解決の鍵は、AIを新入社員に見立てて育成する「AIへのOJT」の発想と、人が最終判断を行う「Human-in-the-Loop」の構築にある。
・これからの人事には、自身の暗黙知をルール化し、AIという部下をマネジメントして、業務を設計する「業務設計者(Human-on-the-Loop)」への役割転換が求められる。
目次
1.生成AI活用における「組織活用の壁」
企業における生成AIの活用について「ツールの導入は一巡し、社内研修も実施した。しかし、現場の業務フローそのものは、導入前と大きく変わっていない。」という声を聞くようになりました。
多くの企業の人事部門が今、こうした課題に直面しているのではないでしょうか。
Works Human Intelligence(以下、WHI)が2025年に実施した最新の調査(※)によると、人事・労務領域における生成AIの利用率は、前年と比較して大きく増加しています。しかし、その利用実態を詳細に見ていくと、メールのドラフト作成やアイデア出し、情報検索といった「個人完結型のタスク」での利用が大半を占めていることがわかります。
※概要
・WHI調査「人事業務での生成AI利用に関するアンケート」2025
・期間:2025年8月14日(木)~2025年10月3日(金)
・対象:「COMPANY」をご利用中のお客様で、生成AIの活用に関心のある方、利用中もしくは利用を検討中の方
一方で、申請書のチェックや勤怠データの集計、給与計算の前処理といった、複数の担当者やシステムが関わる「組織的な業務フロー」には、依然としてAIが介在していません。人の手によるリレー形式で業務が回っているのが実態です。
AIによって、個人のデスクワークは確かに効率化されました。しかし、組織としての生産性や付加価値を生むプロセスそのものは、旧態依然としています。
なぜ、私たちはAIを「使う」段階から、業務を「任せる」段階へと進めないのでしょうか。技術的な制約や、AIの未熟さだけが原因でしょうか。
その背景には、現場が抱える「期待」と「懸念」の間に横たわる、根深いジレンマがあります。次章から、その構造を紐解いていきます。
2.「期待」と「懸念」のジレンマ
現場は定型業務からの脱却を求めている
「現場がAI導入に抵抗しているのではないか?」
そう危惧する経営層や推進担当者もいますが、実態は少し異なります。現場は決して、変化そのものを拒んでいるわけではありません。むしろ、現状の定型業務からの脱却を強く望む人も多いのです。
調査への回答を見ると、多くの担当者が「定型業務を減らし、本来やるべき企画・設計業務へシフトしたい」という意思を持っています。さらに、現在抱えている定型業務の「半分以上はAIで代替できるはずだ」という実感も、現場にはすでに広がっているようです。
日々の業務に追われながらも、生成AIの有用性をすでに実感しており、「もっと付加価値の高い仕事に時間を使いたい」と考えている。これが、現場の本音と考えられます。
阻害要因は「連携業務」と「品質への不安」
しかし、実務への移行は思うように進んでいません。非定型業務へのシフトを阻害している要因として、高度な判断業務以前に、複数のシステム間をつなぐための「データの加工・集計」や「転記作業」といった、「連携業務」が挙げられます。
たとえば、給与計算や社会保険届出といった「処理」そのものの前後には、対象者の抽出やデータ収集といった「準備」、そして処理後の内容チェックや関係者への共有といった「後処理」が必ず付随します。
人事担当者を定型業務から解放するためには、人事システム単体の処理能力を高めるだけでは不十分です。こうした準備から後処理までを含めた「業務プロセス全体」をいかに効率化できるか。そこまで踏み込んで考えなければ、AIに業務を「任せる」という段階へは進めません。
本来、これらの一連の流れを丸ごとカバーすることが、AIエージェントに期待される役割です。しかし、そこで業務を任せきれない最大の理由は、「業務品質への不安」にあります。
調査結果では、「AIが誤った処理をした際に気づけないことへの不安」や「プロセスがブラックボックス化することへの懸念」が、導入障壁の上位を占めていました。
これには、人事部門特有の文化が影響していると考えられます。給与や評価、労務手続きを担う人事は、伝統的に「1つのミスも許されない」環境で実務を行ってきました。一方でAIは、極めて優秀ですが確率的に「たまに間違える」という性質を持っています。
「楽にはなりたいが、中身が見えないAIに業務を丸投げするのはリスクが高すぎる」。 「もし間違っていた時に、誰が責任を取るのかわからない」。
このミスが許されない人事の文化と、AIの不確実性との衝突による心理的なハードルこそが、組織活用を阻む壁の正体です。技術的に「できる」ことと、実務として「任せられる」ことの間には、まだ高い壁が存在していると考えます。
3.AIを「育てる」というプロセス設計
「全自動」か「手動」かの2択だけではない
この心理的な壁を乗り越えるには、ツールの性能を追い求めるのではなく、「AIをどう業務に組み込むか」というプロセスの再設計が必要です。
多くの現場でこれらが進まない理由は、業務の実施を「全自動」か「手動」か、という2択で捉えてしまっている点にあります。「AIを入れるなら、すべての処理を自動化しなければならない」と思い込んでしまうと、少しでもエラーが出る可能性がある業務には適用できなくなってしまいます。
業務への「OJT」的アプローチの有効性
そこで有効なのが、人事には馴染み深い「OJT(教育・検証)」のアプローチです。
新入社員に仕事を任せる際、いきなり全権限を渡すことはありません。まずは業務の手順を伝え、実際に任せてみて、その結果を上司が確認してフィードバックします。このプロセスを経て、信頼関係を築きながら、少しずつ任せる範囲を広げていくはずです。
AIに仕事を任せるプロセスも、これとまったく同じです。
まずはAIに「マニュアル(ルールや判断基準)」を渡し、実際に「試行」させ、出力された結果を人が「検証」する。最初から完璧を求めるのではなく、この教育期間を設けて少しずつ業務を委譲していく姿勢が重要です。
Human-in-the-Loop(HITL)の構築
調査結果でも、「AIに全て任せる」のではなく、「一部をAIが担い、人は判断に集中する」という役割分担が最も支持されています。
「集計や下書き」はAIが行い、「最終確認と判断」は人が行う。AIが出した成果物を人間がチェックするプロセス(Human-in-the-Loop)をあらかじめ業務フローに組み込んでおけば、前述した「ブラックボックス化への懸念」や「責任の所在」への不安は解消されます。
また、現場からは「勝手に決められるのは怖いが、判断に必要な情報を揃えてくれるなら助かる」という声も聞かれます。
AIを、何でも解決する「魔法のツール」としてではなく、「育成中の同僚」や「判断を助けるガイド役」として捉え直すこと。それが、組織活用へと進むための現実的なアプローチの一つだと、筆者は考えています。
4.作業者から「業務設計者」へ
暗黙知の形式知化
AIに業務を教え、育てていくというアプローチは、人事担当者の働き方そのものにも変化をもたらします。
これまで人事部門において、高く評価されてきたスキルの一つに、膨大なデータをミスなく処理する「事務処理能力」がありました。しかし、この能力についてはおおむねAIがカバーできるようになるため、今後AIがパートナーとなる環境では、人に求められる能力がこれまでとは変わる可能性があります。
これから重要になるのは、自ら手を動かすこと以上に、自身の頭の中にある「判断基準(暗黙知)」を言語化し、AIが理解できる「ルール(形式知)」に落とし込む設計能力です。
「なぜ、この申請は却下なのか」「どういう条件なら承認するのか」。ベテラン担当者が無意識に行っている判断ロジックを言語化し、AIへの指示書として定義する作業が、これからの人事において重要な業務となるでしょう。
実際、最新の生成AIツール(たとえば「Claude(クロード)」などで提供されはじめている「Skills」といった機能)では、特定の業務に特化した手順やルールを人間が定義し、AIに「スキル」として覚えさせるしくみが実装されはじめています。
これはプログラミングというよりも、AIに対して「この業務の目的・条件・手順」を箇条書きでまとめた専用マニュアルを渡すような作業です。こうした技術の進化を見ても、これからの人事に求められるのはITの専門知識ではなく、「自社の業務ルールを言葉にして、AIに教える力」であることがわかります。
人事が身につけるべき新しいスキル
つまり、AI活用が進むにつれて、私たちの役割は、作業の「中」で確認を行うプレイヤー(HITL)から、一歩進んでプロセスの「外」から全体を俯瞰し、管理・是正する「業務設計者(Human-on-the-Loop:HOTL)」へとシフトしていくのです。
「AIに仕事を奪われるのではないか」という不安の声も聞かれますが、むしろ逆だと筆者は考えます。
集計や一次チェックといった作業から解放され、人が本来担うべき「例外への対応」「複雑な課題の解決」「個々の従業員へのケア」といった、判断と対話を伴う業務に集中できる環境が整うのではないでしょうか。
これまで「処理」に追われて向き合えなかった課題に光を当てること。これは、人事という仕事が本来あるべき姿へ近づくための、前向きな変化だと思います。
5.信頼できるパートナーとしてAIを確立する
AIエージェントは、導入して終わりではありません。むしろ、そこからが「教育」の始まりです。
まずは、ご自身の業務を「作業」と「判断」に切り分けるところから始めてみてはいかがでしょうか。
「このデータの集計まではAIに任せてみる」「この最終確認だけは必ず自分の目で行う」。
そのように線引きを行うことで、AIを信頼できるパートナーへと育て、組織全体の生産性を高められます。
完璧なAIを待つ必要はありません。新入社員を受け入れ、育てていくように、AIとも少しずつ関係性を築いていくことで、AIはやがて組織にとってかけがえのない戦力へと変わっていくはずです。












