東京商工リサーチの調査によると、2024年上半期の上場企業における「早期・希望退職」の募集は過去最高水準に達しています。景気の先行き不透明感や物価上昇を理由とした賃上げへの圧力から、一部の企業では人員削減や人員配置の最適化を図る動きが見られる状況です。
本記事では、希望退職と早期退職の違いや希望退職の実態、また希望退職増加への対応策について解説します。
1分サマリ
・東京商工リサーチの調査によると、2024年上半期の希望退職募集は前年比1.5倍に増加し、年間1万人を超えるペースで進行中です。
・希望退職増加が企業にもたらす影響として、優秀な人材の流出による競争力低下、スキル不足による業務遂行能力の低下等のリスクがあります。
・希望退職増加時代における人事戦略として、業務効率化・戦略的な人員配置・将来を見据えたスキル開発が必要です。
・希望退職は単なるコスト削減策ではなく、組織を進化させるための重要な機会です。
希望退職とは?早期退職との違いは?
希望退職とは、企業が経営状況に応じて期間を限定して従業員の自主退職を募る制度です。
一方、早期退職は、従業員が定年前に自らの意思で退職することです。個人的な理由や新しいキャリアへの挑戦などが動機となることが多く、完全に従業員の自主的な決断に基づいています。
早期退職との大きな違いは、早期退職が従業員の個人的かつ自主的な決断であるのに対し、希望退職は企業が期間を絞って退職を募集するという点です。応募者には通常、割増退職金や再就職支援等の優遇措置が提供されます。
企業が希望退職を実施する背景には、経営状況の変化や事業再編成の必要性があり、ネガティブなイメージが付きまといがちです。
しかし、希望退職は戦略的な経営手段としても活用できることをご存知でしょうか。適切に活用することで、企業は新しい事業分野への転換や競争力の強化を図れます。また、従業員にとってもキャリアの再構築や新たな挑戦の機会を提供するものとなります。
希望退職は企業の人員調整手段であると同時に、従業員にとってはキャリア転換の機会ともなり得る重要な人事施策なのです。
2024年希望退職増加の実態
企業が希望退職を募集する背景には、様々な経済的、社会的要因があります。2024年の上場企業における「早期・希望退職募集」の状況について具体的なデータを見てみましょう。
東京商工リサーチの最新調査によると、2024年上半期(1~6月)の上場企業における「早期・希望退職」の募集は36社、対象者数5,364人に達し、前年同期比で1.5倍に増加しています。この数字はすでに2023年の年間実績(3,161人)を大きく上回り、年間1万人を超えるペースで進行しています。
出典:株式会社東京商工リサーチホームページ TSRデータインサイト 上半期(1‐6月)
上場企業の「早期退職」5,364人で年間1万人ペース、黒字企業が約6割
https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1198723_1527.html
これまでの希望退職の流れ
過去、日本で企業が希望退職を募集する背景には、リーマンショック、東日本大震災、新型コロナウイルス感染症拡大といった大規模な危機があります。これらの出来事は企業業績に深刻な影響を与えました。
具体的には、2009年のリーマンショックを発端とした世界的な金融危機により、多くの日本企業が業績悪化に直面し、コスト削減策として希望退職の募集が増加しました。
2011年の東日本大震災では、特に東北地方の企業が大きな打撃を受け、復興の過程で事業再編や効率化が必要となり、希望退職が行われました。
そして、2020年の新型コロナウイルス感染症拡大は、サービス業や観光業を中心に企業業績を大幅に悪化させ、希望退職の募集が再び増加しました。この時期、多くの企業が事業構造の見直しや新しいビジネスモデルの構築を図りました。
大規模な危機を背景に推進されてきた希望退職ですが、近年は技術革新とデジタル化の進展も希望退職の一因となってきています。企業が最新の技術に対応し、競争力を維持するためには従業員のスキルセットの見直しが必要です。
このため、新しい人材を採用するための人員調整手段として、希望退職が促進されます。
また、業界構造の変化や政府の政策・規制の変更も影響を与えます。市場の変化に迅速に対応するため、企業は組織再編や事業の縮小を行うことがあります。
これらの要因を総合すると、日本における希望退職の募集は単なるコスト削減策にとどまらず、企業が生き残り、成長を続けるための戦略的な選択といえるでしょう。
これらの背景を理解したうえで、2024年に特に希望退職が増加している具体的な要因について考察します。
希望退職増加の要因とは
2024年、企業が希望退職の募集を増やしている背景には、いくつかの要因が考えられます。
コロナ禍後の人材戦略と事業再編への取り組み
コロナ禍後、企業は急速に変化する経済環境や消費者行動に対応するため、長期的な競争力を確保する必要がありました。
新型コロナウイルス感染症拡大によって明らかになったサプライチェーンの脆弱性や、グローバル市場における競争の激化に対処するため、多くの企業が事業再編やコスト削減に取り組んでいます。
また、日本の厳しい解雇規制を考慮し、希望退職制度を活用して人材ポートフォリオの見直しを進めるなど、持続可能な経営体制の構築に努めています。
コロナ禍に実施された政府の雇用調整助成金などの緊急支援策が終了し、企業は人員削減を検討せざるを得ない状況でした。
コロナ禍後の消費者行動の変化や市場環境の変動に対応するため、企業は戦略を再検討し、不要となった部門や過剰な人員を整理するために希望退職を利用しています。
人材確保のための既存人員の見直し
若手や高度専門人材の給与引き上げとシニアの継続雇用のために、30~50代の賃金カーブをフラットにする動きも影響しています。また、雇用の流動化が促進されていることも一因です。
よりよい給与を求める従業員が増加したことで、多くの企業は現行の人員構成を見直す必要に迫られています。
これらの要因が重なり、2024年に日本企業は希望退職を増加させている傾向にあります。
希望退職のリスク
多くの企業は希望退職の実施によって経営効率の向上やコスト削減を期待しますが、それに伴うリスクも存在します。
希望退職の対象として、一般的に45歳以上や勤続年数5年以上の正社員が選ばれることが多いですが、予定以上の応募があることも少なくありません。
このようなリスクを軽減するために、目標人員や除外規定を設定することが考えられますが、これらの対策を講じてもなお、応募が集中する場合や、予期しない人材の流出が発生する可能性があります。
想定以上に希望退職への応募が発生した場合、企業にとってどのような影響が生じるのでしょうか。
1.優秀な人材の流出
通常、希望退職は割増退職金や再就職支援といった優遇措置を提供するため、特に優秀な人材がこれを機に退職を選択することがあります。これは企業にとって大きな損失となり得ます。
たとえば、優秀な開発者が退職することで、新規商品の開発が滞る可能性があります。また、これまで顧客を引き留めていた優秀な営業担当者が退職すると、顧客離れが進み、売上が減少する恐れもあるでしょう。
このような人材の流出は、企業の競争力を著しく低下させるだけでなく、重要なプロジェクトの進行にも大きな支障をきたすことになります。
2.必要なスキルの不足
希望退職によって特定のスキルを持つ人材が一斉に退職することがあり、結果として企業内でそのスキルセットを持つ人材が不足することがあります。これは特に、技術職や専門職において顕著です。
たとえば、IT部門ではプログラミングやシステム管理の専門知識を持つ従業員が大量に退職すると、システムの保守や新しい技術の導入が遅れる可能性があります。
製造業においては、特定の機械の操作やメンテナンスに熟練した技術者がいなくなると、生産ラインの効率が低下し、品質の維持も困難になります。このようなスキルの不足は、企業の業務遂行能力に大きな影響を与え、業績の低迷を招く可能性があるでしょう。
希望退職増加時代における人事戦略
希望退職が今後も増加すると、企業の人事部はどのような対策が必要になるのでしょうか。
希望退職の増加は、多くの企業にとって人員と能力の最適化を再考する重要な機会だと考えられます。単なる人員削減の手段にとどまらず、組織全体の効率性と生産性を向上させる戦略的なアプローチを開始するタイミングと捉えることもできるのです。
企業がビジネスモデルの転換を進める中で、求められる能力の質が大きく変化しています。しかし、従来の人材構成や能力分布が、この変化に追いついていないケースが少なくありません。
ここからは、希望退職増加に伴う課題への対策を解説します。
業務効率化
希望退職後の人員が減った組織を効率的に運営するためには、業務プロセスの見直しが不可欠です。現行の業務フローを分析し、無駄や重複を特定することからはじめ、自動化やデジタル化が可能な業務領域を洗い出すことが重要です。
必要に応じてRPAやAIツールの導入による業務効率化を図ることも策の一つでしょう。
また、部門間のコミュニケーション強化も重要です。定期的なミーティングや報告会を行い、必要な情報共有はもちろん、各部門でのノウハウやスキルも共有することで、少ない人員でも効果的に業務を遂行できる環境を整えられます。
戦略的な人員配置
戦略的な人員配置を行うために、まず人事部がやるべきことは現状把握と分析です。希望退職を申し出た従業員のリストを作成し、部署や役職、スキルセットを洗い出します。また残留を選択した従業員の意識調査を実施し、不安や懸念点を把握しましょう。
次に、退職者の後任者を早急に決定します。業務を円滑に引き継ぐために社内で人員を再配置し、必要であれば、外部から採用が必要になるでしょう。
組織の戦略目標に沿って、適切なスキルと能力を持つ人材を適切な位置に配置することが重要です。
具体的には、各部門やプロジェクトの重要度に応じて人員を再配置し、重要なポジションに適切な人材を配置することが求められます。また、組織全体のスキルバランスを考慮し、不足しがちなスキルを持つ人材を適宜補充することも重要です。
将来を見据えたスキル開発
希望退職の増加に伴い、企業は人材の流出によるスキルギャップに直面すると考えられます。この問題に対処するためには、単なる人員補充ではなく、組織の未来を見据えた戦略的なスキル開発が不可欠です。
希望退職後の組織の持続可能な成長を支えるために、現状のスキルを把握し、将来的に必要となるスキルを特定・育成することが求められています。
スキル開発の現状分析には、下記の項目を主に分析します。
1.従業員の現在のスキル把握・マッピング
2.将来的に必要となるスキルの特定
3.スキルギャップ分析(部署ごと、役職ごと等、カテゴリー別に明確にするとなおよい)
4.事業戦略との関連性を元に優先順位付け
スキルの最適化は、現在のビジネスニーズに対応するだけでなく、将来の事業展開を見据えた戦略的な取り組みが求められます。希望退職後に生じる人材不足へ対応するためには、内部でのスキル開発が必要不可欠です。
特に、将来の価値創造を加速するためには、社内教育の充実や外部研修の活用といった多様な手法を駆使して、人材への投資を積極的に行うことが重要です。
また、スキル開発においては、不足しがちな専門スキルやリーダーシップの育成に重点を置くべきといえます。優秀な人材を特定し、彼らを集中的に育成するプログラムを提供することで、組織の未来を支えるリーダーの育成に繋がります。
このような取り組みによって、組織の強靭な能力基盤を構築することで、現状の課題に対処するだけでなく、将来にわたって持続的な成長を続けられるでしょう。
構造改革を通じた組織の進化を
希望退職の増加は、組織が変わりつつあることを示していますが、同時に組織の進化のための重要な機会でもあります。戦略的な人員配置とスキル開発は、この変革を成功に導く鍵となるでしょう。
上記で示した過程は決して容易ではありません。短期的には痛みを伴う施策もあるかもしれません。
重要なのは、これらの取り組みを単なる人員削減や一時的な対応策としてではなく、組織の長期的な進化のプロセスとして捉えることです。変化の激しい環境に適応できる人員構造の構築と、将来の価値創造に必要な人材の育成が必要です。
この構造改革は、現在の課題解決だけでなく、将来の課題への先制的対応でもあります。目的は問題解決にとどまらず、新たな価値創造への道筋を付けることです。
人員と能力の最適化は、継続的な組織進化の出発点といえます。経営陣と人事部門が一体となってこの変革をリードすることで、より強靭で成長力のある組織へと進化し、輝かしい企業の未来を実現できるでしょう。